次のステップへ進むために 伝え残していきたいと思う今日この頃
冷めても美味しく作るのがお弁当なんだ
ドラマ「ランチの女王」第9話から
17年前、2007年に放映されたドラマ「ランチの女王」再放送を観ていて思ったこと。
言い回しはよく覚えてないけど、ドラマの中で江口洋介のセリフに「冷めても美味しく作るのがお弁当なんだ」みたいなのがあった。私も母が作る冷めても美味しいお弁当を散々食べてきた。だからなのか、すごくこのセリフが印象に残った。
50年前だと冷めても美味しい食事を作るのが普通だったのですよね。電気云々するなら電子レンジを止めて、蒸し器とかおひつとか、いろいろあるのにね。しかもその方が美味しいご飯が食べれるし。実際、私は電子レンジも電気炊飯器も持っていない。
プロパガンダの世界にどっぷりな社会
いつから温めるのが当たり前になった?
「まるでお店の味」ってなんだよ!?
それにしても、いつから温めるのが当たり前になった?「まるでお店の味」ってなんだよ!?いつからお店の味を崇めるようになった?私にはすべてプロパガンダとしか思えないのですよね。
今となっては、そういう時代を知らない人の方が多いのでしょうから・・・何言ってんだコイツは?ってことなのでしょうけど。
素直に反省して受け止めて次へ向かう
電気の活用で手に入れた手軽さや便利さ・・・それで失ったものがたくさんある。電気を悪者にしたいわけじゃない。常に物事にはそういうバランスがありますよってことを知ってほしいと思う。人にとって何を求め選択するべきだったのか?あの時のあの選択は、今考えるとほんとにそれで良かったのか?
この50年でどんなものを失ったのか?そこを敢えて素直に振り返り受け止めるという姿勢が必要になった今なのではないだろうか?
まずは、それをしないことには次のステップへ進めないように思う。何事も反省があって、それを素直に受け止めて、そういうプロセスを踏まないことには、誰も変わることはできないと思う。
口では、脱炭素だのサスティナブルだのエコだのとその意味を深く考えることもせずに並べ立て、いかにも私はちゃんと考えてますよとドヤ顔演出する輩ばかりでさ、ほんとにうんざりする。
たかがドラマでこんなことを考えてしまう私・・・周囲によく言わてきたことがある「いつもそんなこと考えているの?生きてて楽しい?」・・・私には意味がわからない。そもそも考える行為そのものが楽しいことだと思うけど・・・。
歴史に目を背け蔑ろにしてきた戦後日本人それがどんな社会を作り上げてきたのかを振り返ってみたら、このまま世の空気に流されていてはいけないという思いが最近やたらと強い。だから戦後の高度成長期からそれ以降の歴史、私が実際にこの目で見てきたこと体験したこと感じたことを何らかの形で伝え残していきたいと思う今日この頃。
舞々ご飯
普段の舞々ご飯は・・・こんなもんです。質素です。これ実は晩ごはんです。朝ゴハンではないですからね。
これにね、あとは具だくさんのお味噌汁があるので、それで十分なんですよね。
もちろん毎晩ではないですよ。唐揚げも食べれば、とんかつも食べます。それでもそういう食事は月に1、2回かな。
まあ何でも食べますけど、全部自分で作ることを基本としています。
出来合いのものはあまり買ってきたりしません。ドレッシングとかタレとかも自分で調合して作ります。
なぜか?
その方が自由度が高いから。
この話は、また別の機会に書いてみたいと思います。
これもねぇ。簡単便利を選択してきたことによって失ったものが、とてつもなく大きいのですよね。
ではでは。