第50回衆議院議員総選挙 自公過半数割れはいいけど・・・れいわ、日本保守、参政が躍進って!!!???意味がわからない。
まずは日本保守党について
毎朝、日本保守党の代表と事務総長ふたりがやっている「あさ8」を観ている舞々なのですが、実は日本保守党に関しては常に懐疑的でした。その理由はいくつかあります。
- 医・食・農に関してほとんど言及してこなかった
- 百田・有本両氏の感情的な振る舞い
- とにかく詰めが甘い
主にこの3つかなと思います。
医・食・農に関してほとんど言及してこなかった
特に食と農については、舞々が常日頃から目を光らせている分野です。政治・経済云々の前に、人の国の礎となる食と農、様々な問題の根源は食と農にあるのではないかと考えられことがほんとに多いのです。たとえば日本人の精神性の劣化などは、得体のしれない飲食物が蔓延ることと大いに関係があると考えられる研究結果も近年多数出てきています。
日本を日本人を守ると言うのなら、なぜに食と農について追及しないのか?甚だ疑問なわけです。
だから彼らが日本を豊かに強くと叫んだところで、何の説得力もないわけです。
百田・有本両氏の感情的な振る舞い
日本保守党結党時に猫組長からいただいた言葉があった。「外野は放おっておけばいい」。私も常々、百田・有本両氏には同様のことを思っていた。「猫組長、流石にいいこと言うな」と。これでふたりの言動が少しは変ってくれるかもしれないと期待した。
しかし・・・期待で終わってしまった。
放っておけばいいものを、イチイチ感情的になって反論したりしている。否、あれは仕返しだな。君たちは、ガキか!?と言いたくなるような振る舞いが多い。
そして最後は飯山陽騒動、百田尚樹は選挙中にやってはいけない仕返しをやった。あれで、ほんとに嫌気がさした。
詰めが甘い
わからないことを「わからない」「知らない」と言えない。だから、誤魔化しが多い。これは、番組を視聴していると多くの人が感じるのではないだろうか?その容姿と態度で一見すると潔く感じることが多いのだが、よく見ていると潔くない振る舞いが多いことに気がつく。様々なところで詰めが甘いことを否めない。
真実かどうかはどうでもいい
なぜか?
所詮は外から見ているだけの立場な舞々なのです。人なんて、その場その場でもっともらしいことを言う。言葉よりも普段の振る舞いがどうなのか?イチイチ言葉を真に受けていても真実なんて見えてこない。だから、普段のちょっとした身振り手振り表情、これらから読み取れることは何か?そういう見方をすると、到底ふたりは信用できるものがない。
気になった方は、彼らの過去配信を視聴してみると・・・なるほどと思えると思う。番組の宣伝みたくなってしまうのは不本意ではあるのですけどね。でも、ショート動画はダメですよ。良いとこ取りですから。
参政党・日本保守党は自民の傀儡
左ではない一部の自民を激しく嫌う自称保守たちのガス抜きのための政党としか思えない両党なのですよね。これは、今までにもTwitterなどのSNSでも時折発言してきた舞々ですが、今回の総選挙ではっきりと見えてきたのではないかと思います。
それでも自民191議席だから
まだ日本の有権者には良識があったのだと思う
自民にはお灸を据えたいところではあったのですけどね。ではどこにする?期待された参政・日本保守ではあったものの、結局は自民よりも酷く狂った首脳陣の独裁政党でしかなかった。だからって「れいわ」なんて共産よりもあり得ないわけで、ではどうするか?立民か国民民主ということになる。でも何とも覇気のない両者、結局はやっぱりもう一度自民にしておこうか。
柵がなく選挙を真剣に考えた人たちは、こんな感じのプロセスで選択したのではないのだろうか?
自民落選組
自民候補者の中でも、この人を当選させてはいけないという人たちは大体落選したようなので、まずは良かったと思う。
が、最も当選させてはならない河野太郎を落とせなかったのが残念でならない。ほんまに河野太郎だけは、なんとかしなければならないと思う。
神奈川15区うつみさとる
結果は残念だったけど、盛り上がったことは喜ばしい
舞々が、今後期待できると思うのは「うつみさとる」だけかな。河野太郎を倒せなかったのは非常に残念ではあったのだけど。舞々は、今後も「うつみさとる」を激推しで応援していくつもりである。
とにかくメディア報道だよね
一番の問題はメディア報道ですよね。まあ、メディアがダメなのか?有権者がダメなのか?メディア報道、記者たちがまともなツッコミや議論をできる完全な独立機関であれば、自ずとみな真剣に変っていくはずだと思うのだが・・・。
今のメディアのあり方を許してしまっているのが有権者である庶民であり、しかもメディアにおもねてしまっているのだから。結局は私たちの問題であるのですよね。
人権、自由、平等、平和、民主主義、差別、持続可能性、心は女・・・
これらの言葉を軽々しく口にする輩には気を付けないといけない。偽善者を見破るひとつの方法であるかもしれない。
そもそもが、
- 人権とは何?
- 自由とは何?
- 差別とは何?
- 心は女ってどういうこと?
を深く真剣に掘り下げ考えてことがあるのだろうか?どれこれも非常に難しく一朝一夕に語れるものではない。それを安易に軽々しく使う。こんなに信用できないことはない。嘘臭いとはこのことなのである。そして、これらの言葉を軽々しく使うことの気持ち悪さ。吐き気がしそうになる。
これらの言葉の歴史を知り背景を知り、これからも真剣に向き合って深く考えていかなければいけないことなんだと思うのだが・・・
言葉そのものに囚われすぎてもいけないのではないかと思う。言葉の前に人とは何だ?を問わないといけない。人を知ろうとすると、その周囲にあるものとの関係性も知らないと人はわからない。だから・・・
人権、自由、平等、平和、民主主義、差別、持続可能性、心は女・・・を考える前に、切断されてしまった自然との回路を再接続するところからやり直さないことには何も見えてこないと思う。