「孤独」の甘味は、最高のジュエリーとなる。
こんにちは。熟女ニューハーフヘルス嬢のマダム舞でございます。
たいへんご無沙汰をしておりますが、お陰様で元気にしっかりとニューハーフヘルスを続けております。
「孤独」、「退屈」という言葉は、あまり良いイメージでは使われませんが、たまにはそういう空間、環境に浸ってみると違ったものが違った自分が見えてくるというお話をしたいと思います。
wired.jpというサイトがあります。主に科学記事を扱っているサイトです。
そのサイトでこんなタイトルの記事を読みました。
「デジタル世界にほぼつながらず日本を歩いたら、“退屈”で素晴らしい旅になった」
数年後には、こういう退屈さを求める旅が流行るのかもしれません。それくらいに現代はみな何か追われている、煽られているかのように四六時中何かをしていますから。
この記事、文章的にも個人的にグッとくる行が多く、楽しく読めました。
たとえばこんな行
・わたしの言う退屈は存在感を高めてくれるものだからだ。「退屈」だと、気が散ることもない。
・現代の共有プラットフォームの小さなループにはまることなくだ。
・旅を録音するのは瞑想のようだった
・静けさはもはや観念ではなく、筋肉を構成する要素となる。
特にこれなんかはね
・足腰が鍛えられたことで、世界が高画質のシミュレーションと化し、自分はただの浮遊する意識で、動くものすべてに挨拶しながら、田んぼや山道をふわふわと漂っているような錯覚を覚えた。
この感覚が理解できるのは、かつてトライアスロンに没頭したことがあったからかな。
だからね、
物理的な目線を替えてみると、ほんとに違った世界が見えてくるのですよね。具体的には、目的地は同じでもそこへ行く手段を自動車、電車、自転車、徒歩と、様々な方法で道中を楽しむということですね。移動手段が違うとそれまで見えなかった景色が目に入ってくるんです。便利さだけで行動していたら知りえない景色やお店、そういうものがまだまだたくさんあります。
そう考えると決して退屈ではないのですけどね。
と、こういう感性が養われたような気がします。それと農業かな。
この記事でも書いていますが、あとは音ですね。映像ではなく、音。これね、すごくわかります。特に歩いているとね、ほんとに様々な音が聞こえてくるのですよね。川のせせらぎ。鳥のさえずり。虫の声。風の音、草木の揺れる音。ご近所さん同士のあいさつ。子どもたちの走る足音。そんな様々な音に耳を澄ませて、自分もその空間の中に取り込まれるように一体となる。不思議と心が洗われるというか、今までまとわりついていた?否、馬鹿みたいに後生大事にかかえたものを一瞬にして振り払ってくれるような、そんな感覚。あー 今まで何をやっていただんだろう?ってね。
この地球、否宇宙というプラットフォームは広くて深くて、そんなプラットフォームに身を委ねるとすべてを浄化してくれる。
この退屈な旅というのは、デジタルプラットフォームで溜まった毒素を浄化してくれる解毒の旅とも言えるのかもしれない。
総括すると叶姉妹のこの言葉がしっくりときます。
【叶姉妹 美と愛の名言集】
「孤独」の甘美を、知りましょう。それは、あなたを強く、しなやかにする最高のジュエリーなのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。